エビデンスは魔法の武器なのか?
↑↑↑『「エビデンスで殴る」というやり方は、なぜうまくいかないのか』というタイトルのネット記事を見つけました。
「エビデンス」という言葉が大好きな専門家の方はとても多いですよね。私もエビデンスが無意味だとは思いませんけど、エビデンスが決して万能ではないことを知っています。
「玄米を多く食べる人たち(週に200g以上摂取)は、玄米をほとんど食べない人たち(摂取量が月に100g未満)と比べて糖尿病になるリスクが11%低かった」というデータがあるそうです。
これを根拠として「白米は良くないが玄米は糖尿病予防に良いのだ!」とか「玄米などの全粒穀物には健康に良いというエビデンスがある、糖質制限など不要!」と言われたりします。
でも、本当にそこまで言えるでしょうか?実際、私や江部康二医師のように「長年、主食をすべて玄米にしていても糖尿病になる人」はいますよね…
SNSで知り合った方にも何人もいらっしゃいました。ご家族にも糖尿病患者がいらっしゃる方ばかりです。遺伝による体質の影響はかなりあるんじゃないでしょうか。
これが「玄米を主食にして運動もしている人では2型糖尿病の発症率はほぼゼロでした」というなら分かります。でもそこまですごい数字ではないですよね?
白米よりも玄米のほうがいくらかマシだからといって「玄米にすればいいのだ!」とまで言ってしまっていいのでしょうか?それでもダメな人たちを否定することが許されるのでしょうか。
いくらかマシになるからって、その方法ではあまり効果が出ない人を否定するのはおかしいと思う!
そうでしょう?なぜみんな同じ方法じゃないといけないのかしら。他の方法を否定しなければいけない理由って何?
エビデンスはすべての患者を救えるか?
糖尿病に限ったことではありませんが「エビデンスに基づく〇〇の治療」なんて本は山ほどありますよね。
たとえばあなたが皮膚科の慢性的な病気でお悩みだとして、この「エビデンスに基づく治療」を皮膚科で受けたとしてもなかなか良くならずに苦しんだ経験はお持ちではないでしょうか?
治療するとすぐに治る患者も確かにいるかもしれません。そういう患者がそれなりにいるからこその「エビデンス」なのでしょう。
しかしそれでは、難治性の患者はいったいどうしたらいいのでしょうか?別に難治性の患者は簡単に治った患者よりも努力が足りないわけではありませんよね!?
SNSで「糖質制限はダメです、白米を玄米にしましょう」と発言している医師の方はたくさんいらっしゃいます。
でもたくさんの患者さんと接している医師であれば「その方法ではなかなかうまくいかない患者さん」を必ずご存じのはずだと思うのです。日頃どうしていらっしゃるのでしょう?
私がスポーツクラブで有料ダイエットプログラムの指導をしていた時、多くのお客様はスルスル痩せましたが、中にはなかなか効果が出ないお客様もいらっしゃいました。
こんなとき「どうせこっそりお菓子でも食べてるんでしょ」と決めつけるトレーナーは下の下です。「この方にはこの方法は合わないのではないか?」と考えませんか?普通は。
複数の方法があるのなら、少しでも多くの方に効く可能性が高い方法をまずやってみようというのは当然のことです。
しかし問題は、「多くの方に効く方法が必ずしも自分にも同じように効くわけではない」ということです。自分を含む10人がその方法を試して自分以外の9人に効果があっても、自分には効かない…ということもありますよね!?
「多くの方に効く可能性が高い方法」をチョイスするのは結構なことですが、必ず「その方法ではダメな患者」もいるわけなので、どうか少数派の患者を見捨てないでいただきたいのです。
たとえば「白米よりも玄米のほうが糖尿病を防ぐ効果が高いです!白米を玄米にチェンジしましょう」で終わるのではなく「体質によっては玄米でも糖尿病を予防できないこともあるので、自分に合わせた量の糖質摂取にとどめましょう」という言葉があればなぁと思います。
ほんの少し言葉を付け加えることって、そんなにめんどくさいことでしょうか?大変なことなのでしょうか。。。
エビデンスは「議論に勝つための武器」ではない!
エビデンスは本来「議論に勝つための武器」ではないはずです。「すべての治療法や食事療法の中で最も優れたものをひとつだけ選んで他を否定しよう」というのは変ですね?
しかしSNSなどネット上では「自分が支持する方法だけが正しくて他はダメなのだ!」と主張する方が後を絶ちません…そのための武器として「エビデンス」が使われています。
エビデンスと言えばRCT(特定の治療を行うグループと対照グループに分けて比較する)を複数分析したものが信頼度が高いとされています。
しかしRCTには莫大な費用がかかるため、古い薬、安価な薬のエビデンスは出てこないんだそうです。
つまり「それが優れていることを証明しても誰も金銭的にトクをしない」ものに関してはRCTを十分に行うことも難しいというわけです。
エビデンスのある方法を選択することは決して間違いではありません。ある程度の効果が認められたからこそ…ということは理解できます。
だけど、すべての人がエビデンスで救われるわけではありません。多くの人に当てはまるからと言って、そうでない人を見捨てていいわけがありません。
東海大学循環器内科学教授の後藤信哉先生は「平均的患者に標準治療を行うべきという考え方自体も揺らぎつつある」「新薬が生まれ、RCTでエビデンスがつくられ、ガイドラインに反映される。今やこの流れは、薬の販売戦略に完全に組み込まれている」「明日更新されるかもしれないガイドラインを追いかけても、マニュアルワーカーにしかなれない」とおっしゃっています。
たとえ各種団体が儲からないとしても、ひとりひとりの患者を救うためには「もっともエビデンスレベルが高い方法だけが正解で他はダメだ!」というような考えではいけないと思うのですが、いかがでしょうか。
ひとつの方法を過信するのはいかがなものか…
「白米よりも玄米のほうが体に良い、玄米が糖尿病発症率を下げるエビデンスがある」ということは分かりますが、これって「白米よりは玄米を選択したほうがベターである」ということですよね。
じゃあなぜ糖尿病教育入院でほとんどの病院では玄米を出さないんだと思いますし(調理がめんどくさいとか患者から不評だという理由があるんでしょうが…)退院後も玄米を食べるように指導されないの?と思います。私は指導されなかったですよ。
それに玄米を食べていても糖尿病発症を予防できない人もたくさんいるのに、その事実にフタをして「玄米を適量食べていれば糖質制限は不要!」とまでは言えないのでは?
「白米よりも玄米のほうが体に良い、玄米が糖尿病発症率を下げるエビデンスがある」の後に「体質によっては玄米でも糖尿病を予防できないこともあります」という一言があればずいぶん印象は変わると思うのです。
人々の「食に対するこだわり」は相当なものがありますし、宗教的な理由で特別な食事療法を実践する方たちもたくさんいらっしゃいます。
ただ糖質制限を含めてどんな食事療法も「すべての人にぴったり合う」わけではありません。必ず「合わない人」が存在します。
どんなに「エビデンス」がある食事療法でもすべての人を救えるわけではないのに「エビデンス」を武器にして他をすべて殴るようなことがあるのはおかしいですね。
体質や病気の状態の個人差を無視して「食べ過ぎがいけないのであって、適量を食べていれば何も問題ないです!」と言い切られてしまうと「糖尿病患者は食べ過ぎが原因なのだ」と言われているようで残念です。
どんな糖尿病薬・食事療法・はたまたテレビの健康番組で大プッシュしていた「神食材」だろうと、すべての人に同じように劇的に効くわけではありません。
より多くの方に効果が見られたからと言って、その結果を拡大解釈して「これさえしていれば大丈夫なので、効果が出ない人は努力が足りないのだ」というのは変ですね。
エビデンスは決して無意味ではありません。しかしエビデンスですべての患者が救われるわけでもありません。大事なのは、私たちひとりひとりの患者がなるべく良くなることです。
より多くの人を救うかもしれないのがエビデンスのある治療なんだけど、それで救われない人もいるってことだニャー!
そうね、だからいろいろ選択肢を用意してくれてもいいじゃない?ひとりひとりが良くなることを本当に望んでいるならね。